立光山眞昌寺は浄土真宗本願寺派東京教区東組、東京都荒川区内の寺院です。
浄土真宗は、親鸞聖人を宗祖と仰ぐ仏教の宗派で、ご本尊は阿弥陀如来。
本山は京都市下京区の堀川七条に在する「龍谷山(りゅうこくざん)本願寺」、「西本願寺」でございます。
わたくし達は、自分にとって都合がよければと、我執にとらわれがちな日々を過ごしてはいないでしょうか。
阿弥陀如来という仏さまの願い(仏法)を聞かせていただくことで、自分の想いがかなわないために生じる苦しさや、迷いが消えて無くなる訳ではありませんが、わたし中心という考え方の物差しが変わることや気づきから、ありのままの「今」を受け止め、精一杯生かさせていただきたいものです。合掌
住職ご挨拶
住職の清水隆幸です。眞昌寺のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
大正13年、現在地に初代隆正が布教所を設立してから、おかげ様で昨年(令和6年)100年を迎えることができました。これまでの護寺発展にご理解とご尽力を賜りましたこと、心よりお礼申し上げます。
私は寺の活動の他、荒川区で青少年に関わる活動のお手伝いをさせていただいております。こども食堂では、子ども達と遊んだり、楽器演奏を楽しんでおります。また週末は、小中高生も交えて母校体育館でバスケットボールを行っています。子どもたちの笑顔を見ることで、私自身が励まされる思いです。今後も微力ながら続けて行きたいと考えております。皆様、どうぞ宜しくお願い致します。1964年、東京生まれ。法政大学社会学部卒。
寺の歩み
- 初代清水隆正は、岐阜県郡上八幡生まれ。25歳で上京し、親類を頼りに東京都文京区駒込の専西寺へ入門。
- 郷里の専光寺の衆徒として西本願寺で得度し、わが身の姿を習う道場として聞法布教活動を始める。
- のち大正13年現在地に木の本説教所設立。毎月4のつく日には聞法会を開催し、後に眞清院と改称。
- 昭和20年3月、東京大空襲で本堂焼失。一時岐阜県に疎開。
- 昭和24年、再建を志し上京。眞昌寺と改称し第一世となった。山号の立光は、故郷郡上八幡の吉田川流域の地名に由来。
- 昭和42年に78歳で往生
- 2代目住職は清水戒静
- 昭和6年、初代隆正の次男として現在地に生まれる。
- 兄、昌夫が太平洋戦争により戦死後、先代の下で寺務に従事。
- 昭和40年、住職を継承。
- 昭和48年、多大なるご門徒の方々のご協力を賜り現在の本堂と庫裏を建立。
- 町会、保護司、民生委員、など地域の方から多くのご縁をいただき、前坊守悟子と共に護寺に勤める。
- 70歳を機に住職を長男隆幸に継承。その後も職責にいそしみつつ81歳で往生
年中行事 報恩講(ほうおんこう)
「報恩講」とは、浄土真宗をお開きくださった親鸞聖人のご命日を縁として、親鸞聖人をはじめ、先立たれた方々のお導きによって、わたしが念仏のみ教えに出遇い、生きる拠りどころをいただいているご恩にお礼を申し上げる法要です。
浄土真宗ではとても大切な仏事として、本山、全国の別院、寺院、各ご家庭などで勤められており、講とは人が集うことを意味し、特に仏教のお話を聞く会のことをいいます。
※眞昌寺では毎年11月の第一または第二日曜日に執り行っております。
どなたでもお参りいただけますので、ぜひご参拝ください。


年中行事 永代経(えいたいきょう)
「永代経」とは、亡くなられた方やご先祖様への報恩感謝(亡くなられた仏さまから受ける大いなるご恩に感謝する)の気持ちで、仏法の教えを永代に受け継ぐように、読経と法話を行う法要です。
「さまざまなご縁によって、今の自分がある。」(縁起)の意味、いのちのつながりを一緒に考えてまいりましょう。
※眞昌寺では毎年5月の第一または第二日曜日に執り行っております。
どなたでもお参りいただけますので、ぜひご参拝ください。


寺族紹介
衆徒の高安嗣生(住職の義兄)です。
1960年東京生まれ。中央大学法学部卒。45歳で得度。株式会社日本IBⅯ退職後、眞昌寺の年中行事などの際には、法話を担当。又、聞法会のzoom配信等も行っております。皆様、一緒に聞法致しましょう。