6月の法語カレンダーについて


教行信証では、「遇いがたくして今遇うことを得たり」と述べられています。親鸞聖人は、法然上人を通じてお釈迦様が説かれた阿弥陀仏の教えに出遇われ、深く頷かれたのでしょうか。「遇う」には思いがけない出会いという意味がありますが、たまたまと感じたけれど、振り返れば必然ともいえる、自ら求めていたからこその出遇いということが、この漢字には込められているように思います。

浄土真宗では、「本願力に遇いぬれば、むなしく過ぐる人ぞなき」と申します。人として生まれ、様々な事柄や人、どのようなことに遇ったか、良きことも、そうでないこともすべてはご縁。とかく自分に都合の良いことに遭遇した際に、私は「この度は、いいご縁をいただきましてありがとうございます。」と使いますが、「喜悲もご縁」と捉えるようにしたいものです。
念仏で救われることの意味を尋ねていきたい衆徒高安弘子の我聞です。