5月の法語カレンダーについて
仏さま(阿弥陀如来)のはたらきについて。。。。。 例えば、お金やモノ、社会的な地位等を欲しいと思い、願いが叶ったとしましょう。得たと思ったら今度は失うことを恐れますし、このままずっと同じ状態であればと現状維持を望みます。幸せと感じられるかどうかは、私の思い通りに出来たか否かによります。なぜ不幸だとか苦しいと思うのか分からない。お金やモノがないから苦しむのではなく、私には心がありますから、手に入れることが出来ないと思う気持ちが私を苦しめる。自分自身のエゴ、欲に振り回されている私の思いが苦悩の種と気付けない私。こうした考えを捨てるとかやめることが出来ないのも私です。執着によって知らず知らずのうちに、他と私を区別していることや、苦しみの原因は私の内にあることを、私の状況の如何を問わずいかなる時も呼び掛けてくださる(はたらき)のが仏さま。はたらき続けて頂かないと、今生でいのちがある限り、私には次々と様々な煩悩が沸き起こり、消えてなくなることはありません。ただ、はたらきですから、目には見えないです。阿弥陀如来は、南無阿弥陀仏の呼び声となり、私が呼びかけを聞き応じる(帰命する)ことで、考え方が転じていく(欲が無くなるとか、善人になるという意味ではなく、自分の姿が明らかになり、私の物差しが変わるとかこれまでの考え方がひっくり返る)のではないかと思われます。 念仏で救われることの意味を尋ねていきたい衆徒高安弘子の我聞です。 |